[がっつり鬱を治した話]人生で人を認めることの大切さを語る

LIFE

こんにちはけんたです。

10年前がっつり鬱で人生詰んでました。

今は元気に働くことが出来て、当時を振り返ると本当に追い詰められてたんだなと改めて思います。

鬱になる原因て当たり前ですが色々あって一つじゃないです。

職場の人間関係、家族や夫婦の問題、学校でのいじめやセクハラ、モラハラ・・

例を出せば無限に出てきますが、僕は多くの原因の根幹にあるのが「人」だと思っています。

僕が鬱を治した方法は「自分を認めてくれる環境に変えた」事でした。

今回は10年前の自分に届けるつもりで、鬱を治した話を書いて行こうと思います。

スポンサーリンク

8年間の仕事経験を丸ごと否定されて鬱状態に

僕は新卒で回転寿司を展開する会社に就職しました。

8年間その会社で働きまして、その後もともと料理好きだったこともあり和食店を展開する会社に転職します。

好きなことを仕事にするということも、転職後に色々考えました。

当時就職した会社の店はガチガチの和食の職人の厨房でした。

良くも悪くも完全トップダウンの関係で、一番下だった僕は誰よりも早く出勤し、皆の使うものを準備したり、皆が飲むお茶を用意したりしていました。

僕は寿司は握れるし魚も捌くことが出来たので、転職先で早い段階で戦力になれると思っていたのですが、全然甘かったです。

回転寿司で学んだことは全て否定され、全てが1からでした。

当時は30歳で、自分の中にもある程度技術も知識も自信があったし、恐らく社会人で10年前後仕事を経験した方は皆そうですよね。

それを次から次へと「それは違う!」「基本が出来ていない!」と怒られる日々。

僕の技術や知識はいわゆる「回転寿司流」だったんですね。

それから徐々に精神が病み始めて行きます。

自分でも自分の変化に気付きました。

最初に気付いたのは、笑うことが出来なくなったこと。

職場はもちろん、親しい人や家族の前でも笑うことが出来なくなり表情を失いました。

それから人の目を見れなくなり、人前で泣く事が当たり前になり、喋れなくなり、、

酒に逃げて絶望しながら、このままじゃダメだと考え続けていました。

人には皆ちゃんと価値がある

当時本当に自分に価値がないと思い込んでしまっていたのです。

かなりイタイ奴だなと自分でも思いますが、同じように思った経験がある人も多いはず。

これを話すと本当に引くかもなんですが、あまりに自己肯定感を失った僕は出会い系サイトに沢山登録して、送られてくるサクラのメールを見て承認欲求を満たしていました。

普通にヤバイ奴ですよね。ある時ハッと自分は何をやっているんだと気付き、同時に今の自分は「認めてもらう事を求めているんだ」と気付きました。

それから少しづつですが、自分の気持ちや環境を見つめ直すようになります。

店では戦力になれず失敗ばかりの価値がない人間かもしれない。

でも、本当に価値の無い人間なんて周りにいますか?

どんな人でも必ず胸を張れる何かがあるはず。

そんなの自分には無いよ、、と思う方はそれに気付いていないだけだと思います。

・真面目である
・思いやりがある
・話が面白い
・笑顔が素敵
・読書が好き
・スポーツが得意

例えば上記の通り。

こんなの価値と言わないよ、、と思う方もいるかもしれません。

ですが、人の価値の感じ方は人それぞれです。

一つ質問ですが、先程の例の6項目全て満たしてると思える人いますかね?

㒒は口下手なので、話が面白い人が羨ましいですし、話が面白い人本人にとっては当たり前だったりします。

誰しもがあの人のああいうところが羨ましいというところがあるはず。

人には誰しもが必ず価値があるのです。

自分を認めてもらえる環境に変える

自分を認めてもらえる環境ってなんだろう?

僕はすでに今の職場では回復不可能まで落ちてしまってました。

上手く伝わらないかもですが、周りの人間関係的にも「あいつは本当にダメな奴だ」「あいつは男のくせに人前で泣くやつだ」と思われており、そこから這い上がるには体力が無さ過ぎで無理でした。

沢山悩んだ結果、今の職場を退職し、以前の会社に出戻りさせてもらいました。

幸い暖かく迎えてくれて、慣れている仕事というのもあり、少しずつ気持ちが落ち着いてきました。

今は元気に働けているのですが、とはいえ完全回復するのには5年ほどかかったと思います。

それ程、気持ちへの傷を負った時の痛みは深いです。

「人の価値を認める」

これは人生で超重要だと思います。

人をきちんと評価し、価値を認める。普段出来ていますか?

偉そうに言ってる僕も出来ていないことが多いです。でも自分の内面を見てくれて認めてもらうことで、幸せを感じたり感じたり、自己肯定感が上がったり、モチベーションが上がりますよね。

8年間新卒から頑張った会社は僕の事を受け入れてくれて認めてくれました。

価値の無い人間なんて絶対にいないと思います。

今となっては、当時の経験があったからこそ人の痛みがわかるようになったり、人と内側を見れるようになったりで良かったなと思っています。

当時の上司にはいまだに可愛がってもらっており、本当に感謝しています。

まとめ:環境が最重要

補足として、転職先の職場が良くなかったとは思っていません。

ただ自分には会わない環境だった。

そこには会社、人間関係、それまでの経験や許せること、許せないこと色んな要因があります。

人が輝くためには環境が最重要です。

まずはきちんと認めてもらえる環境であるか。

努力や結果を評価してくれる環境であるか。

自分を成長させてくれる環境であるか。

友人で看護学校に通い、看護師になった人がいました。

病院の仕事は大変で、日々消耗しながら働いている中で、気持ちが病んでいったそうです。

その友人の話を聞くと、「学生の頃から看護学校に行かせてもらい、病院で働くことが当たり前になっていた」と言ってました。

確かに看護学校に行かせてくれた親には感謝すべきですが、その環境が合わなくて消耗してしまうなら一度考えるべきです。

自分の人生を生きるのは自分です。

繰り返しになりますが、自分も人を認めて、自分の事も認めてもらえる環境では無いといけません。

最後に僕がリハビリ的に気持ちを立て直そうとしていと時に読んで救われた本を紹介します。

本を読んでスッと心が軽くなったのを覚えています。

修道女の渡辺和子さんの本です。

生き方を考え直すことが出来るので、このままで良いのだろうかと人生に悩んでいる方も、そうで無い方にもおすすめの一冊です。

是非御一読下さいませ。

 

Follow me!

  • X

コメント

  1. Giro 古川治郎 より:

    紙合さん、読ませていただきました。
    転職のくだりを読ませていただきました。
    和食への転職、思い切りましたね。 そして大変でしたね。
    結論から言えば、そこには紙合さんを理解してくれる、あるいは肯定してくれる人に恵まれなかったのであれば、頑張る意味がない環境。やめて正解だったと僕も思います。

     しかしその和食の職場、紙合さんという人材を活かせなかった。もったいないことをしましたね。あまつさえ壊すところだったのには怒りさえ覚えます。

     回転寿司あがりは仕事が出来ない!?
    とんでもない。ちょっとアプローチと到達点が違うだけで、そこをその職場の要求水準に修正すれば良いだけです。
     
     そもそも、回転寿司あがりって言葉が、自己肯定できない響きを持っていていやですねぁ。 そういえばぼくも、札幌で彼女の両親と会った時。「回転寿司か」って顔をされないかと劣等感を持っていました。

     しかしながら、超繁盛店で長時間のピークをスムーズにさばけるのは、とてつもなく高い能力が要求され、それが出来る人は、少なくとも同業種では成功を約束されていると言って良いと思います。ちなみに僕なんかはオーダーを四方八方から言われると覚えられない時点であの職場では通用しませんでした。--;

     そして今、小さいながらも会社を立ち上げてお店を切り盛りしながら2号店まかせられそうな人材探しも行っているのですが、紙合さんみたいな人いたら、即スカウトですよ。 

     それから超繁盛回転寿司の素晴らしい店として、自分のテーマを決めてどんどん反復練習できることでしょうか。
     魚のさばき方だって、違う包丁の角度、手順、試してみることが出来るし、握り方だって、いくらでも練習できる。 それこそ和食の職場ではなかなかできないことが本人の勉強と意思しだいでいくらでも習得できるので、とてつもなくありがたい環境。それを紙合さんの部下に伝えていけたらいいですね。
    応援しています。 古川 治郎